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コラムNo.029 動物をいただく

コラムNo.029 動物をいただく

ここのとこ、ペットフードについてのことが続いたのですが、今回は食物としての動物について少し触れてみたいと思います。 この「動物をいただく」とは、仔猫や仔犬をもらうのではなく、「肉を食べる」という行為のことです。最近ニュースでちょくちょく聞きますが、学校給食費を払わないとか、外食はお金を払っているんだから「いただきます」なんて言わんでもいいなんてわが子に教える親がいるそうです。どんなにお金持ちで高学歴で社会的地位が高くても、残念ながら非常識・無教養と言わざるを得ないですよね。給食費問題は今回は置いといて、「いただきます」とは、食材を育てたり獲ったり、食事を作るという労働に感謝するという意味もありますが、本来は自分の命のために「ほかの生き物の命をいただく」ということです。当然、動物も植物にも命があります。ゴマ油や醤油だって元は植物からです。だいたいお金は労働に対して支払っているのであり、命には払ってはいませんよね。

小さいころ、茶碗についたご飯粒を最後まで食べなさいとよく注意されました。兼業農家であった祖父が米を作っていたこともあって、大変な苦労をして作るお百姓さんに失礼だと教えられました。と同時に、命あるものを食べるのだから残してはいけませんと最後まで席を立たせてもらえませんでした。とある動物園のチンパンジーが、自動販売機にコインを入れてバナナやドリンクを買うというニュースがありました。このほしいものをお金で買って飲み食いする行為と、きれいな服を着て一流レストランでおいしい料理を食べる行為は食べたいという本能を満たす意味で同レベルです。そこに感謝の気持ちがあるかどうかで、ヒトと動物の違いがあるのではないでしょうか。香水をつけたサルではいけません。

獣医学生時代、動物に携わるいくつかの職業の現場を見てきました。獣医師の資格を活かす職域はとても広く、さまざまな分野で活躍する獣医師の姿は憧れでありました。ある日、ある施設へ見学に行ったときのことです。一般の方が見ると失神してしまうんじゃないかというところです。僕自身は慣れていたので興味深く見学できましたが、そこは「屠畜(とちく)場」と呼ばれるところです。つまり動物が肉になる場所です。衛生管理が行き届いたその現場は、さながら自動車工場のような流れ作業で牛や豚が手際よくさばかれていきます。命をいただくことが最も分かりやすいこの場所は、社会的には完全に封印されています。家畜をつぶすという作業に、「かわいそう」「残酷」というイメージがあり、またその作業に携わる方に偏見を抱く価値観がまだ日本にはあります。外国から見ると、その日本の状況は呆れられ、ときにはさげすみの視線を向けられるのです。「いただきます」なんて言う必要ないという価値観を持たせたまま世に放っている日本の教育現場(家庭そして学校や社会も含め)、そして知らないふりをしている日本の社会に私はとても不安を感じます。

ペットをかわいがることと命をいただくことの根っこは同じではないでしょうか。ここに生きていることと生きることとに感謝の気持ちがあり、それを感じることだと思います。学校でいま「食育」をテーマにしたさまざまな取り組みが注目を浴びています。ご家庭でも、是非「いただきます」「ごちそうさま」から始めてみませんか。